
マイフィアテディの歴史
マイフィアテディのファンクラブを覗いていただいてありがとうございます!
作者のむいみです。
今現在、2026年の2月にこのサイトを準備しているところなのですが、まだお出しできるコンテンツも少ないし、せっかくなので、ここに至るまでの経緯を記録しておこうと思います。
読まなくても本編には全く影響ありません!あくまで裏話的な記録としてお楽しみください。
最初期:2020年9月
まず、マイフィアテディの一番最初のスケッチをご覧ください。

日付を見たら2020年の9月でした。時の流れこわい!
それはさておきあんまりキャラデザは変わってない!


テディとグレナは割とまんま


アイボリーのおいたんもクマリっぽいのもバニーもいた
話の内容は、「成人男性の精神がぬいぐるみに入る」というところだけ変わらず、今と結構違いました。なんかこう…成人男性が女児のエアお茶会とかに付き合わされるの…イイな…というリビドーがあった気がします。
元々ホラー映画のチャイルドプレイに着想を得て、ああいう凶悪な犯罪者がかわいいものに無力化され堕とされて、愛情でグズグズにされ、精神の形を更生(かえ)られる…ってのがやりたかったようです。
しかし、どう考えても1話完結のような短編にはなってくれそうになく。
かといって長編を描き切るような持久力や自信はなく。
昔からマンガとかお話を描くのはすごく好きで、時々描いてはいたのですが、「自分はマンガ家としてはやっていけない」という謎の自信がありまして、この時はただ悶々と妄想するだけで終わりました。
再始動?:2023年7月

-時は流れ3年後。
この時、2023年7月は生まれて初めて個展をやりました。
イラストやマンガは一切なしの、粘土の作品だけの展示です。
当時、パートをしながら粘土の作品を作ったり、時たま漫画を描いたり、細々と制作を数年続けていたのですが、「このままじゃ一生中途半端なままじゃないか?」とか、「だんだん自分が他者の成功を喜べない人間になってきている気がする」という、漠然とした「恐れ」がどんどん大きくなってきていた頃でした。
もうなんでも思いつくことやってみよう!作ることで食べていけないか、正面から試そう!それで失敗したなら諦めもつくだろう!と思って。
展示が終わる頃に気がついたことがあって、それは、
「私の欲望は常に恐怖に変形させられている」ということでした。
少し遡った話をします。私は高校生の時、美術系の高校に通っていて、自分で言うのも変ですが、結構優秀な生徒だったのです。
と言うのも、社会で生きていくことに対しての不安が漠然とデッッッッッカくて、自分の人より優れている点は絵を描くことしかない、ものを作ることしかない…
簡単に言うと「絵で食って行けな死ぬ」みたいな強迫観念に支配されていました。
器用でセンスがあって優秀だったんではなく、不安で怖かったから文字通り必死だったんです。
死ぬ気でやるもんだから、土日返上制作制作毎日睡眠時間5時間意識朦朧、受験に少しでも有利になるように公募にたくさん出して賞をたくさん取って、そしたら進学校(笑)だからこんなに賞歴あるんだからイイ大学行かなきゃダメよと教師にも圧をかけられ、ついでに大学行かないやつは非人間洗脳を受け、大学のオーキャンに行っても初対面の大学教師にパワハラ的に泣かされ、感性がお亡くなりになり何が美しいかわかんない、家に帰っても落ち込んでいる素振りを見せると家族に詰められるので泣ける場所が風呂しかない…
そんな感じで無事に精神崩壊して、もちろん大学にも行けず、しばらくは絵を描くことも全くできない期間がありました。線一本引いたそばから批判される気がして、怖くて。
でも、こんなことで唯一好きだったことが二度とできなくなるのはすごく悔しくて。
本を読んだり、スケッチしたり、少しずつ心を回復させていって、だんだん美しさを感じられる心を取り戻していきました。冷静になったら別に大学行かない人間もいっぱいおるわ。
2023年まで個展をすることができなかったのも、「また強く批判されたらどうしよう」という不安が大きかったからです。作ったものを人に見られることが本当に怖かった。
だからギャラリー選びも安心できる場所を基準に選びました。
個展はすごくいい経験になり、自分にとって良い結果になったのですが、一方で「まだこんなに震えるほど怖いんだ!」と実感しました。
そして、自分が粘土の作品に注力していた理由に、「文句を言われなさそうという理由もある」と気付いてしまいました。粘土の作品を作ること自体は好きだし、真剣にやっているのですが、コンセプトが要らない・色彩や純粋な造形の楽しさだけで勝負できるという理由も大きかったな、と思ったのです。
これは実際に展示をやってみたからこその気付きではあるのですが。
ここ数年で自分の心は十分に回復して、自由になったと思っていたので、この気づきは衝撃でした。
怖いものがなくなったのではなくて、ここ最近の私は、怖いものにぶつかるような欲望は初めから無いものにしていたのかも知れない。
確かに、無意識に、家族に見られても恥ずかしく無いものを作ろうとしている。
誰かを不快にしたり、強く批判されたり、怒られたりしないものを作ろうとしている。
そういうことに気付いたら、マンガが描きたくなってきました。
そして以前にスケッチしたMFTの原型を思い出して、あれを再構成して描けないかな…と思いはじめました。以前の構成より「フィアー」についてと主題を変えて…

恐怖のためではなく、目的を遂行するためにやり方を変えられないかな?と思いはじめました。
批判を恐れて写実的な正しい絵を描くのではなく、描く速度を上げるために簡易化するとか。トーンを貼る手間を省くために二色で表現してみるとか。(でも結局手癖に任せるのが早くて初期案に戻ってます。)
ストーリーの再構成なども考えながら、でも物語のまとまりになるような「答え」が見つからずにまだ悶々としていました。
抱っこ事件:2023年8月

ここで事件が起こります。
「恐怖に欲望を制限されている!」と気がついてから、なるべく挑めるような恐怖には立ち向かってみよう、という人生傾向になっていました。
その折に、昔からずっとなんとなく好きだった役者さんがチェキ会(役者さんと一緒にチェキを撮れる軽いファンミーティングみたいなやつ)をやるというので、普段だったら「チェキとか別に…一緒に写真撮るの恥ずかしいし…腑抜けた自分が写ってるの嫌だし…」と思ってスルーする所でしたが、やったれいったれ!という勢いで行ってみることにしました。
そしたら、抱っこをしてもらえました。
いわゆるお姫様抱っこというものです。すごくすごくびっくりしました。そんなことあるのかよ、人生。
私は小さい頃、親にも「抱っこして」がなんか言えなくて、気付いた時にはもう大きくて、この先の長い人生もう誰にも抱っこしてもらうことはないんだろうなーと少し切なく思っていました。だからこの日は、本当に思いがけずに、自分でも忘れかけていた願いが叶った日でした。
言わずもがなこの経験が3話のアレにつながっています。あんなに脳汁エクスタシーした訳じゃないけど。
この日のことが、物語の重要なピースとなって、「これなら描ける…!」という気がしてきました。

色の塗り方とかはだいぶ固まってきました。

この頃のグレナはまだちょっとやさぐれみを残している
そしてルーキー!自主連載へ:2023年9月

恐怖に数年向き合い続けてわかったことは、恐怖に立ち向かうには、小さく挑戦するということです。
いきなり怖くて仕方ないものにぶつかって行こうとしても、怖いのは怖いままだし、下手を打つと全身砕け散って凄惨な事故になります。
ていうか、そもそも恐怖は命を守ろうとする自然な反応ですから、怖がる自分を嫌ったり責めたりするのはあまり意味がありません。加えて大人になっても続く恐怖は、「何かあったから」生じるもので、勇気がないからではありません。心が痛いのは、そこに傷があるからで、痛くないふりをしても、傷はずっとそこにあります。
でも、恐怖に支配されて、小さくしか生きれないのはムカつくから、なんとかしようって話です。
恐怖を分析して、細かく小さくして、できそうなところから手をつけて、自分の世界から少しずつ恐怖が支配する面積を少なくして行く…という方法が着実に自分を強くしてくれます。
個展をやってみて、自分が避けていることがわかって、思いがけない嬉しいこともあって、マンガに再度挑戦する気持ちは蘇りました。だけど、編集部への持ち込みなんてとても怖くてできそうにない。そもそもそんな長く連載できるかわからないし…
そういうでもでもだってをくぐり抜けて、ジャンプルーキー!という媒体と出会いました。
この文章をお読みの方にも「ルーキー!から来ました」という方がいらっしゃることでしょう。
よくお越しくださいました。ようこそ、どうもありがとう。
ジャンプルーキー!というのは、ジャンプ+のインディーズ媒体とでも言ったらよいのか…なんかそんなやつ。一般人誰でも投稿ができて、ランキングで1位になったらジャンプ+のインディーズ枠で連載できるよ!という、いかにも少年ジャンプなシステムがあります。(原稿料も出るようになる!)
実際今現役でジャンプ+で活躍している作家さんの中にもルーキー!出身の方がたくさんいらっしゃいます。
加えて、インディーズ枠は編集さんがつかないので、プレッシャーもあんまりなさそう。
この頃働いてる職場が環境悪化しており、いい機会だから、仕事辞めて貯めた貯金で一年間、連載を目指してマンガを描いてみよう!と思いました。
それでダメなら諦めも付くだろうと。
いつも諦めを前提に走り出している気がする。

つまづいて転んで:2024年から2025年

驚くべきことに、約1年、大体隔週での自主的な連載を続けることができました!
ランキングも、上位には届かないものの、徐々に地味に地道に伸ばしておりました。
一方、描き続ける中で、飛躍的にマンガの技術が上がったことで、物語の最初の方の読みにくさが気になってしょうがない…直したい…という思いも強くなってきました。
貯金もちょっとそろそろヤバイ…というところで、色々な事情でやむなく更新がストップ。これが2025年の年始あたりです。この時起こった色々なことで結構心身ともに弱りました。
何があったのかをちょっと突っ込んでかくと、事情があって実家に帰ることになり、しばらく実家にいたら、一時的に精神の状態が高校生の時の頃に戻ってしまったのです。
実家周辺の街並みや雰囲気自体がもう苦手になっているというのもあるし、家族と長く過ごすのが、なんかもうだめでした。だんだん自分の好きなようにすることに罪悪感を感じてくるというか。自分が何をしたいのかわからなくなってくる。のちに家族といるのが苦しいというよりは、家族といる時の自分が嫌いという方が正確だなと思いました。
少しずつ広げてきた世界がきゅうきゅう小さくなっていくような感じ。
実家から戻ってもしばらく調子が戻らなくて苦しかったです。
この時立ち直れたのは、自分が迷走ともいえる活動をしていた中で出会った人の、さりげない気遣いでした。自分を信じて待っててくれる人がいるのはすごく勇気が出ました。
連載に漕ぎ着けるにはやはり短編で賞をもらったりしなきゃダメなのか?!と思い、新しくバイトをしつつ、読み切りを2本描きました。
(バイトは最初働いたパン屋では邪悪なジャムおじさんみたいなやつがいて1ヶ月でやめました。今はやさしいお姉様方に囲まれて清掃のバイトをしています。)

眉間シワシワボーイズ
描いた短編の1本が運よく編集さんの目に留まり、一度オンラインでお話しさせて頂くことになりました。
連載に繋がることはなかったけど、これも自分にとってマジでめちゃくちゃ大きいことでした。ずっと壁打ちのような気分だったので、「届いた!」という実感をもらえたし、実際にその業界で働いている人の言葉には強さがありました。マンガという実体がないものの価値を心から信じている人の言葉でした。
一方で、それを商業として成立させることの難しさも強く感じました。ただ、漠然とやる気を奪うマイナス要素としてではなく、仕組みとしてこうなっているというロジカルな観点で。
本当にマジで、商業でやっていける作家さんはすごいです。
1年、自分の本当にやりたいことに向き合ったおかげで、出会った人のおかげで、この漫画を通して描きたかったことが、やっとはっきりわかりました。
そして今に至る:2026年2月

こうした出来事や、マンガに専念してから思ったことや気付いたことが物語をどんどん育てていって、「もうお金儲けとか以前に、自分のために最後まで描きりたいな」という気持ちが強くなってきました。「できるかも…?」が、「できるかどうかとかじゃねぇんだわ、やるわ」になりました。
そして、MFTの設定を大きく整理して、連載再開への準備を始めました。
再開準備が整ったのは、2025年も後半の頃。いざ再開するとなると、どこで?どうやって?という選択が重くのしかかってきました。決断できなくて「とりあえず3話!3話描いてみて決めよう!」と先延ばしにしたりしましたが、何も思い浮かばないまま3話が出来上がりました。2026年の1月でした。
2024〜2025年は私財を投じてでもそれで食べていけないかに掛けてみたい!という思いでしたが、今の自分にはあの頃の蓄えはない。金儲け目的ではないとはいえ、無償でモチベを保つのは至難の業だったのに、バイトしながらは流石にキツい。
Kindleインディーズなら電子書籍を無料で出版できて、読んでもらえれば少しは分配金が入るけど、単話配信でそんなに読んでもらえる気がしないし…。
そんなことをぐるぐる考えて辿り着いたのが今の形態「有料ファンクラブで先行配信、遅れて各種SNSで配信、話数溜まったらKindleインディーズでデジタル単行本として配信する」でした。

まず、今の私にとって最大の目標は、「ヒットをかっ飛ばす」でも「デカく儲ける」でもなく、「最後まで描き切る」ことです。
そのためにある程度モチベーションを維持したい。そのためにマンガを描くというフィジカルな労働分だけでもペイしたい。
次の目標は「全話を誰でも読めるように公開したい」。
なぜならMFTは今まで生きてきて「もっと早く教えてほしかったよ〜」みたいなことをたくさん詰め込んでいるから。過去の自分への贖いのような気持ちがある。
自分のために描いているし、自分のために描き切りたいし、昔の自分でも読める形で発表がしたい。
金がないし金があっても自分のために使うことが怖くてできなかったあの頃の自分に届けたい。
この二つの目標の他に、自分の中で三つ、検証してみたいことがありました。
まず、漫画の価値の曖昧さについてです。
漫画を描くようになってから、漫画をよく読むようになったのですが、漫画ほど価値が一定でないものも他にないなと感じました。
物理的には、紙の本より電子書籍が高かったり。逆だったり。
電子でも、キャンペーンで大幅に値下げされたり。あらゆる漫画が無料で読めるし、漫画の値段ってなんなんだろうって。
時代的にもうパッケージだけで情報を買うことも少ないし、漫画に限らず、無料で内容を見てから好きだったら投資する、みたいな方向に消費がシフトしているのを感じます。youtubeとか想像するとわかりやすいですよね。
ただ一つ確かなのは、マンガの価値が一番信じられるのは「つづきが読みたい」時です。
故に、こうやってファンクラブとして先行配信することで利益を生み出す仕組みを考えてみました。
課金しなくても待てば読めるし、応援したい時だけ、余裕がある時だけファンクラブに入るってのもあり。できるだけ読む人に負担が少なく、でも応援したい時は気軽にできる、みたいな形を実現してみたいな〜というのが一点。
二つめは、個人のパワーを確かめたい。
今なんとなく会社や大きな組織で行う商売が、文化や表現を先細りにしている部分があるのでは?という疑念が自分の中にあって。
もちろんそういう大きな業態でないと実現できないことも大いにあります!
一方で、そもそも創造的な価値と商業的な価値ってどうしても噛み合わない部分があることも事実で。文化的に価値があるものでも、商業的価値観では売れないものには価値がないことになってしまう。商業ベースに載せるときに取りこぼされてしまう小さなニュアンスがある。
そして最近は各方面で個人で活動しているクリエイターの進歩が目覚ましい。
色々技術が発展して、無法地帯にため息が出ることも多いけど、個人でできることの範囲がグッと広がったのも事実です。現にこのように個人でファンクラブの設立も叶っちゃってる訳ですから。
私は結局個人の性癖ツメツメ私怨ネジネジの切実執念でひり出されたブツにアツさを感じるので、いわゆる個人勢、野良のマンガ家としてやってみたいなと思いました。
最後は、ずっと自分でも思い込んでいた、「漫画家は全てを捨てないとなれない」みたいなのをくぐり抜ける方法はないのかなぁということ。
実はすごく小さい頃はマンガ家になりたくて。でも無理だなって早い段階で諦めました。すごく頑張っても売れるかわからない、マンガ家になれたとしても激務薄給、痔になる、別の道を選ぶ方が賢いと思ってた。や〜なガキ!
もしその頃の自分に何か忠告できるなら、やりたいことやんないと魂歪むから逃げない方がいいよ、って言いたいです。
激務の中描き続けた先人のマンガ家先生たちがめちゃくちゃエライ!…というのは一旦置いといて、自分のQOLを守りながら、体壊さずに、できればなるべく幸せに、物語を描くことで稼ぐことってできないんでしょうか。不幸にならないと傑作って生まれないんですか?
美術界隈にいたときも、何かとしょっちゅう「そんなに甘くない」みたいなことを言われました。まるで私が幸せになると困るみたいに。
後輩にそういう呪いをかける人たちって、もっと先を行く人たちにそういう呪いをかけられたんだろうなと思います。それを信じたから、覆されると自分の不幸に意味がなくなるから、後をくるものにそういう呪いをかける。世界がひっくり返らないように、重い石みたいに言葉を落としていく。
…もうそういうのだるいから!流行んねぇから!
幸せになれよ!なろうぜ!なるための努力をしようぜ!なあ?!そのために生まれてきたんじゃねぇのか?!おい!!!!
もうすでにこういうファンクラブ手法で連載をやってる人もいるとは思うんですが、自分で実際に実践して確かめてみたい…それで得た知見が後世に役立つなら、私は呪いではなく祝いを後ろに残して歩いて行きたい…というのが一連のMFTのプロジェクトであります。

お疲れ様でした。ここまで読んでいただいてありがとうございます。これが、ここに至るまでの道程です。
マンガ、読んでもらうだけで十分なんですけど、もしまあもうちょっと応援してやるかなぁ、と思ったら、感想をSNSで呟いてみたりだとか、お友達におもろいよ〜って教えたりだとか、していただけると、大変うれしいです。
ファンクラブに加入したり、グッズを買っていただけると、助かります。私が。
何かよっぽどなことが起こらない限りは最後まで描く覚悟がキマっちゃってますので、これからの道程もゆるく見守っていただければ幸いです。
